最近のお楽しみが、ボルスターに身をあずけて
ティック・ナット・ハン師「ブッダの幸せの瞑想」の本を読むこと。
仏教の本ですが堅苦しくなく、
優しくて、愛情に満ちた言葉遣い、
自分が迷った時、この本に触れていたいなぁ、と思う本です。
9月の3連休で受講したヨガニードラ指導者養成講座、
その講座内で講師のサントーシマ香先生に紹介して頂いたもの。
サントーシマ香先生のヨガクラスに数回参加して、
そのインストラクションの言葉の美しさ、
先生の人柄が好きになって、学びにいくことにしました。
子どもたちは主人の両親にお願いして、
3日間朝から夕方までヨガの勉強、
わたしにとったらそれだけでとても贅沢な時間でした。
とはいっても内容はヨガニードラ、
ほとんど横になってときどき寝てしまったりのリラックス講座なのですが。
現代社会の中で情報に翻弄されず、他者やものごとを否定せず、
女性らしさ、自分らしさを認め、平和的で満ち満ちた気持ちで
子育て、家族や友人との生活をできたらいいなぁ、
わたしの心からの思い。こうなりたい像(笑)
心の持ち方によっては、ものすごく難しく感じてしまうこの思い。
またはこういった思いそのものを理想化しすぎてしまい、
自分自身を押しつぶしてしまわないように。
いたらない自分も認め、観察して、
温めるように、育むように、光ある方向に
成長していくことも大切だと感じています。
そのことのヒントが「マインドフルネス」という言葉にあるようです。
香先生の講座でも、ティック・ナット・ハン師の本にもたくさん出てきます。
今、ここにあることに集中する。
あるがままの自分を受け入れ、ゆるす。
その一つの方法が呼吸に意識を向けること。
野口整体の野村奈央先生がおっしゃっていることと重なることもありました。
自分の軸、心の静けさに戻る、
一日に数回、しっかり座って呼吸、息をすることの大切さ。
頭を空っぽにすることが意外と難しいのですよね。
なんか、損しているような、そんな気持ちになったり。
気負わず、不出来な自分のこともゆるして、観察して、
満ち満ちた今この瞬間を楽しむ。
実はわたしは苦手な方だと思うのです。
「子ども寝かせたらあれやってこれやって〜。」と頭の中で計画を立てたり、
効率よく、要領よく物事をすすめたい、そうある自分万歳!みたいな(笑)。
ガツガツ、熱く、前向きに!
書いていて、ああ、恥ずかしい。カッコ悪いと思います。
いくら処理能力が上がっても、幸福感は得られない。
ご褒美になにか買っても、やっぱり次は他のものをとエンドレス。
本当に幸せを感じられるためには?
わたしがふと思ったのは、たまたま身近にいた妹の存在。
子どもと波長合わせて、寄り添って、たんたんと毎日を楽しんでいて、
お姉ちゃんはいつも頑張っていてすごいね〜。とのんきに言っている妹。
きっと悩みもあると思うけれど、
妹も、妹の周りに居る人も気負わず幸せそう。
わたしも彼女と居るとふぅっと力がぬけます。
素敵なお手本が近くにいたっ!と思いました。
でもね、カッコ悪いのもわたし。
目的意識を持ってすすみたいのもわたし。
妹の様にならなきゃいけないわけではない。
人は他者のことを羨ましがるものだけれど、
実は自分自身になることが一番簡単なんですって。
香先生もおっしゃっていました。
同じことをファミリーヨガの石井三郎先生もおっしゃっていました。
尊敬する人がそう言うのだから、そんな気がわたしもしています。
みんな自分には一番厳しいから、
親友の相談を聞くみたいに自分の悩みにも答えてあげたら良いのですって。
一番大切なことは、
頭ではなくてもっと奥のところで
今あるがままの自分を感じている時間をもつこと。
「これ分かるな〜。」と思います。
理屈だけで「分かっている」ときの言葉は、
押し付けられているように感じてしまったりするけれど、
心からの言葉は伝わる。だから香先生のクラスが素敵なんだなぁ、って。
み〜んな、その人らしく。少しずつ成長していけたら良いの♪
気づきのチャンスはたくさんあります。
思ったこと書きたくて長くなりましたが、
最近の出来事でマインドフルネスを感じたこと。
家族全員で栗の皮をむきながら食べている時!
今年初の栗を茹でて、殻ごと半分に切って夕飯のおかずに出したときのこと。
たまたま旦那さんも一緒に夕飯を食べていて、
みんなでご飯より何より栗の皮を剥いて食べて、もくもくと。
栗を食べることに集中。
「おいしいね。」「甘いね。」くらい少ない言葉しかかわしていないけれど、
たしかに4人で同じ時間を、場を、共有している感覚。
みんながいつだか大昔の人だったときに、
森の中で木の実を拾って、皮を叩いてむいて食べたときの、
そんな記憶をも心の引き出しからほろりと飛び出してきたり。
あ、これはわたしだけの妄想かもしれないけれど(笑)
生きているなぁ。
今ここに居るなぁ。と心から感じました。
特別なことをしなくてもいい。
色々なことができても、今を置き去りにしていることが多くて、
人や環境のせいにしたりするのもそう、
近くに居る人が「今ここにない」と悲しい、
きっとその人自身も満たされないから悲しい。
わたしは子どもと遊んだりするのが上手じゃないけれど、
今だから思うけれど、
息子とは不器用ながら幼少期を一緒に過ごせてよかったなぁ、と。
マインドフルネスのお手本たくさんみせてもらったなぁ、と思います。
娘は、小さいときからわたしや息子の用事に連れまわして、
今でも仕事が忙しいと一緒に居るのに違う方を向いて過ごして、
心寂しい気持ちをさせてしまっていることがあるけれど、
心が通う時間をひとつずつ大切にしていきたいなぁ、と思いました。
いろんな考え方の癖、体の癖、
そういうものをほぐしてほぐして心の奥に澄んだ泉を育んでいきたいです。