最近9歳の息子の言葉にドキッとすること多々あり。
「どうして火は上に向かっているのかな?」
「どうして昔はお米がとれないことがあったの?」
「昔話にはどうして貧乏なおじいさんとおばあさんがよく出てくるのかな?」
毎回「ねぇ、お母さん。」とはじまるこれらの問い、
なぜかいつも朝ご飯のときとか、夕飯の支度とか、
イソイソしているときにふっとつぶやくように聞いてくるのだよね。
「どうしてだろうねぇ。」
そうこたえながら、
そういう問いを持つこと自体に愛おしさを感じてしまう親バカさん。
幼稚園に入る前の息子も、なぜどうしてぼっちゃんだったなぁ、と。
こどもの質問や気づきは意外と的を得ていて、大人もドキッとする。
世界と向き合っているのだなぁ。
フレッシュに。
「ねぇ、お母さん。」と聞いているけれど、教えてもらっているのはわたしの方。
寝る前に一緒に読んだ日本の昔話が種まきになったかなぁ、
と期待すらしていなかった反応にちょっと喜ぶ。
「ねぇ、お母さん。」が聞けなくなるまで、どんな種まきが出来るかな?
小学生とキッズヨガをしていても、ふと思う。
どんな種まきができるかな?
もしかしたらわたしはその成果を見ることは出来ないかもしれないけれど、
種まきをすること。教育の面白いところはそこにあると思う。
自分の子どもとなると、良いことばかりではなくて、
気づかぬうちに悪しき種もたくさん蒔いていると思うけれど、
子どもはもっと賢い。
親の悪い業も剪定もできる人に育ってくれることを信じて。
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