「気をそらす」ということで前から書きたいと思っていたことの1つ。
野口晴哉先生の奥様、野口昭子さんが書いた「子育ての記/全生社」「回想の野口晴哉/ちくま文庫」の読後感です。
野口先生のお子さんやお孫さんの子育てについても書かれていて、子育て中のわたしにとってとても興味深い内容でした。しかも、野口整体の体癖でいう1種体癖の野口昭子さんの文章は、直感型の9種の野口先生とは違った語りで、とても論理的で分かりやすいのが魅力です。
子どもが転んだ、という場面での野口先生の行動を昭子さんが分析している記述があったのですが。
野口先生はお孫さんが転んだら、まずはその子が自分で立ち上がるのを待つこと。つぎに泣いていたら「痛いの痛いのどこにとばそうか?」と子どもの気をそらす。と昭子さんは観察していました。
自分で立ち上がる前に大人が手助けしてしまうと、次から自分で立ち上がるということをしなくなるから。
「痛いのどこにとばす?」というのは我が家でも自然にやっていました。わたしが「あの木にとばしちゃおうか?」と言うと、娘はよく「木がかわいそうだからゴミ箱に捨てて。」と言っていました。ときどきわざと「お兄ちゃんにとばそうか。」と言って、息子が「イテッ!」と同調して、それをまたわたしに飛ばしたりしているうちに、大泣きしていた娘がゲラゲラ笑っているということはよくありました。注意をそらす方法としてはなかなか良い方法だったと思います。
意外とよくしてしまいそうで野口先生が注意していたことは、何かに子どもがぶつかってしまったときに「この机が悪い!」ともののせいにすること。「何か嫌なことがあったときにすぐに人のせいにする癖がつく。」からだそうです。
これ、実は公園などに行ったときにときどき聞く台詞で「なんか嫌だな〜。」と思っていたのですが、何で嫌だと思ったのか本を読んでスッキリしました。母は子どもをかばうつもりと気をそらすために言っていたことだと思いますが。
「〜しちゃだめ。」「やめて。」「じゃましないで。」。。。たくさんたくさん、自分の気分で気軽にそういう言葉を子どもに向けて発している自分を反省。
親が何気なく言っている言葉や態度が、やがて子どもが成長したとき、困難に対してのとっさの対処の仕方に通じるものなのだな、と改めて思いました。
「子育ての記」「回想の野口晴哉」、体癖についてや野口整体式の離乳食の進め方など参考になります。わたしは、野口先生の初孫に弟ができたときの日記が面白かったです。上の子が大人を困らせる行動には共感しますし、その都度上手に気をそらせたり、しっかり上の子の要求を満たし気をかける野口先生の言動に「なるほど〜。」と感心しました。
一方で、潜在意識や体のことに精通した大人が数名かかりで接していても、上の子の気持ちを落ち着かせることが困難な様子はリアリティがあり、マニュアル的でない子育ての日記だな、と誠実さを感じました。
「わたしは素人1人で2人の子どもを毎日見ていたのだから。」と開き直りともとれる自己肯定ができるようにもなりました。注意しなくては行けないポイントはおさえながらも、子ども自身が困難を乗り切るときを待つ、という余裕が生まれました。
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