都内で1男1女(2006.02生、2008.07生)の子育てをしています。
食事、お掃除、手当て、保存食作り、子どもたちとの会話、手作り、沖ヨガ、野口整体、、、我が家の台所からお届けします。           
台所日記1 娘が生まれてからの台所日記  http://meg3life.seesaa.net
YOGA CAFE ヨガクラスやワークショップのお知らせ http://meg3yoga.seesaa.net

2016/01/15

こんなのどうですか?

食育とか、子どもの育ちについてのあれこれ。

わたしはジャンル分けされたメソッド自体が
あまり馴染めないタイプなので、
いつも自己流で試行錯誤するのですが。

「子どもと横並びで何かする時間を持つ」
ということがすべてのことにおいて大切なのじゃないか、
と思っています。

子育てが困難だと感じているお母さんや、
人とうまくコミュニケーションをとることができない子、
(年齢的にできなくて当たり前の子どものことではなく)

その根本にあるのは、
「正しいことを押し付けてしまう」
「正しさを押し付けられてきた」
「寂しかった」という感情が根っこにあるのかなぁ、と

愛しているんです。
人と関わりたいんです。

でも上手に関わる術が「分からない」ことによって、
ものすごく不利な言動を自らしてしまっている、
だから周りからの風当たりも強くなって、
心に大きな鎧を着せて、体も硬くなっていく、
そんな風に思えてならないことが良くあります。

解けたらいいなぁ、そのままでいいのになぁ、と思う。

わたし自身も、紙一重で、
ギリギリのところで同じことをしてきて、
苦しい時も味わっているので、余計に思います。

そうそう、毎日一緒にいたとしても、
心のつながりを感じられなければ、
ネグレクトってありえるのです。

でも、あれこれ思想や論理を探すよりも、
目の前にいる子どもが答えを教えてくれました。
子どもは、ただ、お母さんと一緒に笑っていたいのです。

いつもいつもじゃなくていい、
ときどき、そういう質のいい心が通う瞬間があれば、
満たされるのです。

テレビで、親が刑務所に入っていて、
その帰りを待っている息子さんのセリフが気になりました。
息子さんもまた刑務所から出所したばかりでした。

小さい時にお母さんが作ってくれたハムエッグを自分で作って、
「これ、お母さんがよく作ってくれた。
これ食べながらみんなで笑って。
そういう時間をもう一度作りたい。ただそれだけ。」

キュンとなりました。
たくさんの記憶の中で、そこなんだな、と。

栄養満点のお弁当を作ってもらっても、
キャラ弁を作ってもらっても、
安心安全で高価な素材で調理をしてもらっても、
一緒に並んで食べた記憶に勝るものはないんじゃないかしら。

肩の力を抜いて、
今できる範囲で子どもの隣に座る、それだけで十分。

いつも頑張らなくてもいいと、自分を許す、
子どもだってそんなこと望んでいないです。


こんなのもいいかな〜、と。
子どもと一緒にパンにジャムとバターを塗って、
おやつにする!





簡単です。
毎日しなくてもいいです。
うちだって年に数回です。

でも例えば、一緒にお買い物に行って、
「今度はこのジャムにしようかな。」と会話したり。

この日も「今日のおやつないな〜。」と思って
娘が帰ってきたので、「待っててね。」と私が作ろうとしたら、
「私やりたい!」と言ったので、即席でやりました。

準備して意気込んで「一緒にやろ!」と言っても、
子どもがそういう気分じゃないときもあります。
相手との波長を合わせて、できそうなときに、できることを。

一緒に過ごした時間が、
点と点で結びつくような毎日を送れるといいな、と思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿