お花のモチーフ編みのマフラーを作り始めました。鍵編みの小物を作るのは好きなのですが、モチーフは初めて。意外と手間がかかることに気がつきました。糸の処理という地味な作業が多いのですね。
これだけでもポイントになりそうです。
でも配色など自分なりに考え、春先でもつけられそうな素材にしたので、なんとか完成にたどりつきたいです。
小さい頃から編み物は母の傍らで色々やってみたことがあったのですが、本格的に作り始めたのは息子の子育て中。
息子は1歳代からお昼寝をしなくなりました。まわりの子は午後たっぷりお昼寝をする頃、なんとかお昼寝をさせようを努力してみたり、午前中、午後2回公園へ行ってみり、あれこれ試してみたものの全く寝ない、いつまでも元気な息子。
結局最後は「わたしがいっぱいいっぱいになったら良くないな。」という思いで、午前中公園。午後は息子はおうち遊び、わたしは手作りタイム。と勝手に決めました。
何かの拍子に引っかかったりさしたりしたら危ないと、わたしは立って編み物。息子があれこれ持って来てくれたらその手を止めて答える。鍵編みは特に手を止めやすかったので気に入って作っていました。
不思議なことに、本や雑誌を読んでいると邪魔をしてきた息子も、編み物や縫い物をしているときは黙認してくれているような感じがしました。繰り返しの作業はさして頭を使わないので、息子に気をかけながら手を動かす、ということができたからかもしれません。
ものが出来上がる楽しみもあり、やっと二人の心地よい時間の過ごし方が見つかったような気がしました。
子どもとの一日を終え、夜旦那さんがテレビを見ている時間。旦那さんにとってはリラックスタイムなのですが、わたしとしてはその時間がただ過ぎていくのがもったいないように思えて、傍らで編み物をしていました。
日中子どもと過ごしていると、バランスをとるという意味でも、成果というかためになることをしたかったのかもしれません。文章を書いたり、本を読んだり、ヨガをしたり、映画を観たり、子どもとの毎日の中では使わないような感覚を味わいたかったのですが、旦那さんもまた仕事の緊張感をほぐす必要な時間だったから、そこで自分の意志を示すことはなぜかできませんでした。
「どうしてもやりたくて!」「これを作りたくて!」という純粋な思い、というよりは、家族とのバランスをとるため、自分のコントロールをとるために続けてきた編みもの。
繰り返し、繰り返し。そして糸の始末をきちんとすることで「使えるもの」ができる。という体験は、気がついたら自分の自信にもなっていったと思います。主役は自分じゃない。bestではないけれどbetterな選択をその時々していく生き方を、わたしは結婚や子育てを通して経験しているのかもしれないな、と最近ふと思いました。
当時作ったマフラーは、今も温かく「こんな手間のかかることを良くやったな。」とその頃の根気と時間を懐かしく思います。自分も環境も変わっていくものです。最近は小さな前進こそが自分の成長の糧になっている、そんな風にさえ思えるようになりました。
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