冬の初めに読み始めたムーミンの冬のお話は読み終わりました。「また来年の冬も読んでみようかな。」そう思っています。
図書館で絵本を借りたり、家にある絵本を読んだりもするのですが、わたしとしては「絵本より読み聞かせの方がいいな。」と思う今日この頃です。耳で聞いて、子どもの空想の世界で情景を思いうかべる体験をしてもらいたいな、と思うからです。
テレビや絵の情報の強さは子どもたちの反応を見ているとよく分かります。そういう刺激もある程度は必要かもしれないけれど、時には「引き算」も必要なのではないかしら、と。
日本の昔話は手元にあったのですが「そろそろグリム童話も読んでみたいな。」と思っていました。そんなときに実家でとても分厚いアンデルセンとグリムの名作集を見つけました。年季が入っていますが、一通り有名な話が入っていたので持ち帰りました。
わたしが子どものときに両親が古本で手に入れたものらしいので、翻訳の言葉使いも「今どき」ではありません。時々入っている挿絵も雰囲気があります。それがまたわたしは魅力的に写りました。わたしの方が楽しんでたりして(笑)
年末に「我が家のシュタイナー教育 広瀬牧子 共同通信社」という本を読みました。2人のお子さんを育て、シュタイナー教育に出会いご自身の子育ての価値観を変えていった経過などが書かれていて、わたしはとても共感をもって読みました。その中でも、語り聞かせ、読み聞かせについて、子どもたちの想像力や感情の発達に役立つと書かれています。
物語の最後に悪者のオオカミが最後に殺される場面の「首をちょんぎる」とか「鍋で煮て食べてしまう」といった残虐な描写について。これ、わたしも気になっていたのです。「子どもに話すのにこの表現はちょっと怖すぎるのでは。」と。
それに対して。
「オオカミが心を入れ替えて善人になりました。」という表現にしてしまうと、子どもは心底からは喜べない。いつかまたオオカミが悪者に戻るのではないかと不安を残すから。だから悪者は徹底的にその存在をなくさなくてはらない。だから残虐な表現になるそうです。
けれども「血がしたたり落ちる」といったリアルな表現はしてはいけない。残虐な場面を絵にしたり、語るときに感情を込め過ぎてもよくなく、展開していく一場面としてサラッと語ることが良いそうです。
「それで良いのね。」となんとなく腑に落ちました。そういえば、うちの子どもたちも意外とあっさり聞き流しているように思います。話の筋よりも繰り返しや、言い回しに大笑いしているときもあったり、子どもが大人と同じ感覚で言葉を受け止めている、と思うこと自体が間違っているのかもしれません。
実はわたしはファンタジーや作り話に苦手意識があったのですが、子どもたちのおかげで「昔から読み続けられているものは、単なるお話以上の価値があるのかも。」と思い直しています。そういえば、わたし自身が小さい頃に読んでもらったお話を思い浮かべると、肌触りとか香りとかそういうものも一緒に出てきます。
ついつい現実的に物事を考えてしまう癖を抑えつつ、物語を読むときはわたしも子どもたちと一緒にファンタジーを楽しめたら良いな、と思います。
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